【Blog】「神聖な牛」の陰で — インドの酪農産業で利用される水牛たち

Facebook
LinkedIn
X
WhatsApp
Reddit

牛を神聖な存在とし、ベジタリアンが多いことで知られるインド。しかし、広く消費されている乳製品がどのように生産されているかは、あまり知られていません。ヴィーガン活動家のヴァルン・ヴィルランが、以前から抱いてきた疑問と、ムンバイの酪農場で実際に目にした光景を通して、牛の陰で見過ごされてきた水牛たちについて伝えます。

* * *

路上にいる牛、水牛はどこに?

マハラシュトラ州マルヴァンの通りにぽつんと立つ牛。インド各地の村で見られる光景。写真:Anipixels.com

インドでは、路上を歩く牛の姿が珍しくない地域があります。それは、牛が大切にされ守られているからだ、と考えたくなるかもしれません。

路上にいる牛の中には、乳が出なくなり、酪農場から放された牛もいます。牛の屠殺が禁じられている州では、乳の生産に使えなくなった牛を屠殺場へ送ると、法に触れる可能性があるからです。乳を生産できない雄の子牛も、飼育する価値がないとみなされ、捨てられることがあります。

私が子どもの頃から不思議に思っていたのは、もっと単純なことでした。
水牛はどこにいるのだろう。なぜ牛のように、路上を歩く水牛を見かけないのだろう。

牛は「神聖」。では、水牛は?

ヒンドゥー教において、牛は長い歴史のなかで神聖な存在とされるようになりました。牛の屠殺は、多くのヒンドゥー教徒にとって受け入れがたいものと考えられています。しかし、水牛には牛と同じような宗教的な位置づけがなく、屠殺されても牛ほど社会的な関心を集めません。

もちろん、水牛も牛と同じように、痛みや恐怖、喜び、ストレスを感じる存在です。それぞれに異なる性格があり、群れの仲間と社会的な関係を築きます。

しかし実際には、その命も身体も、水牛自身のものとして扱われていません。

水牛の乳は、誰のものか

あまり知られていませんが、インドで生産される乳の約45%は水牛から得られています。

水牛も、ほかの哺乳類と同じように、子どもを産んで初めて乳を出します。乳を得るため、水牛は妊娠と出産を繰り返させられます。

水牛の妊娠期間は、人間と同じ約9か月です。出産後、母親と子どもは、においや接触、声、姿などを通して結びつきを形成します。母親は子どものにおいを嗅ぎ、身体をなめ、毛づくろいをし、その声を聞きます。

こうした母子の関わりは、子どもが立ち上がり、乳房を見つけ、免疫に必要な初乳を飲むことにもつながります。

しかし酪農場では、子どもが母親から引き離されることがあります。雌は、次に乳を生産する存在として育てられます。雄は乳を出さないため、経済的な価値がないとみなされ、十分な乳を与えられないまま死亡したり、食肉として屠殺場へ送られたりする事例が報告されています。

ムンバイの酪農場で見たもの

2022年、私はムンバイにある水牛の酪農場を訪れました。農場の裏手には、子どもの水牛の死骸が放置されていました。ほかの動物に食べられ、骨が見えている死骸もありました。

乳を与えられず死んだ雄の子ども。死骸は放置され腐敗が進んでいた。ムンバイ。2022年4月。写真:ヴァルン・ヴィルラン。

農場の中では、何十頭もの子どもが母親から引き離されていました。柱につながれ、母親からわずか1メートルほどの場所に置かれている子もいました。母親には子どもの姿が見えているのに、近づくことも、乳を飲ませることもできません。

ムンバイの酪農場で、母牛が届かない柱に縛り付けられ水牛の子。2022年4月。写真:ヴァルン・ヴィルラン。

子どもと離された母水牛は、乳を出さなくなることがあります。そのような場合の対応として、死んだ子どもの皮にわらなどを詰めた「カール・バッチャ(皮の子ども)」を見せ、子どもがそばにいると思わせて乳を出させる事例が記録されています。

人間が乳を得るために、母と子の関係がここまで利用されているのです。

プネの酪農場の壁に吊るされた「カール・バッチャ(皮の子ども)」。写真:Anipixels.com

乳のために育てられ、肉として売られる

インドでは、牛や水牛を肉専用に飼育する生産体系が、基本的にありません。水牛肉の生産は酪農と結びついており、乳を出さなくなった雌や、乳を生産しない雄の水牛が屠殺場へ送られます。

牛の屠殺はインドの多くの州で禁じられています。そのため、インドで「ビーフ」として流通・輸出されている肉の大部分は、牛ではなく水牛の肉です。水牛肉は国内でも消費され、最も安価な赤身肉として取引されています。時期によっては、鶏肉より安く販売されることもあります。

乳と肉は別々の産業ではありません。水牛の身体は、乳を得るために利用された後、肉として商品化されるのです。

「ベジタリアンの都市」でも

インド西部グジャラート州のパリタナは、動物の屠殺や肉類の販売を禁じる措置を取ったことで知られています。

ヴィーガンの旅行者ルーカス・シュピーゲルは、動物が苦しめられることのない場所を期待してパリタナを訪れました。しかし、小規模な酪農場で目にしたのは、短い鎖につながれた水牛と、母親から離れた場所につながれた子どもでした。

ルーカスは、そこで出会った水牛について、次のように語っています。
「水牛は穏やかで、好奇心が強く、愛情深く、寛容な動物です。」

肉を食べないだけでは、動物にとって理想的な社会にはなりません。動物の身体を人間が利用してよいと考える限り、肉だけでなく、乳や卵、皮や毛を目的とした搾取が続くのです。

水牛が支払う代償

母親からわずか1メートルの場所につながれ、姿は見えても近づくことのできない子ども。
戻ってこない子どもを呼び続ける母親。
乳を飲むこともないまま命を失い、農場の裏手に放置された子ども。
妊娠、出産、搾乳、子どもとの別れを繰り返させられる母親。

牛を神聖な存在とみなすことも、肉を食べないことも、それだけでは動物を搾取から守ることになりません。

動物の乳を人間のものとする限り、母親の身体も、妊娠や出産も、子どもとの関係も、人間の利益のために利用されます。この事実は、牛でも水牛でも変わりません。

私たちにできることは、犠牲になっている動物たちに目を向け、乳製品をやめることです。入手できる植物性の選択肢は、たくさんあるのですから。


Original article in English by Varun Virlan / Japanese version by Yuko Kubo.

Explore our articles!