なぜ、シャチを水槽に閉じ込めてはいけないのか。ここで紹介する7つの悲劇が、その理由です。
そしてこれらは、ほんの一例でしかありません。
シャチは、海に生きる壮大な動物です。高い知性と社会性を持つ鯨類で、母系を中心とした群れで暮らし、群れごとに異なる鳴き声を使って意思を伝え合います。
野生では1日に100キロ以上を移動し、数百メートルの深さまで潜り、家族と生涯にわたる絆を保ちます。メスには90年以上、オスには60年ほど生きた例があります。
しかし、水槽に閉じ込められると、そのすべてが失われ、行動を制限され、仲間から引き離され、早すぎる死を迎えることになります。
現在も、世界各地で推定50頭のシャチが水槽に閉じ込められています。知覚能力を持つ海の動物を娯楽に利用し、利益を得る産業が今も続いていることを示す、痛ましい現実です。
彼らの生涯は、捕獲の残酷さだけでなく、シャチの生態にまったく適さない環境が、家族との別離や病気、抑うつ状態など、さまざまな苦しみをもたらすことを物語っています。
ここでは、そのうち7頭の物語を紹介します。
どれも悲劇であり、今も囚われているすべてのシャチを自由にするよう、私たちに訴えかけています。
1. コーキー — 半世紀以上閉じ込められているシャチ

コーキーは1969年、4歳ごろにカナダ・ブリティッシュコロンビア州沖で捕獲されました。家族から引き離された後、水族館で展示に使われ、1987年にシーワールド・サンディエゴへ移されました。それから半世紀以上が過ぎた今も、水槽に閉じ込められています。
野生のままであれば、コーキーは自分が属する群れ特有の鳴き声を使い、家族とともに生涯を過ごしていたでしょう。しかし現実には、孤独と喪失に耐える日々を強いられています。
飼育下で産んだ7頭の子どもは、いずれも生き延びることができませんでした。海辺のサンクチュアリへ移すよう求める運動が続けられていますが、コーキーは、故郷の海から遠く離れた殺風景な水槽を、毎日、同じように泳ぎ続けています。
2. ティリクム — 産業の残酷さを世界に知らしめたシャチ

ティリクムの名は、苦難に満ちた生涯を描いた2013年のドキュメンタリー映画『ブラックフィッシュ』によって、世界中に知られるようになりました。
1983年、幼いときにアイスランド沖で捕獲され、複数の海洋公園を転々とさせられました。隔離されたほか、同じく強いストレスを抱えたほかのシャチから攻撃を受けるなど、過酷な環境に置かれました。
長い間行動を制限され、自ら選ぶ自由を奪われたことで、ティリクムは深刻な精神的苦痛を抱えるようになりました。3人の死亡事故に関わりましたが、いずれも、監禁によって引き起こされた精神状態の悪化を映し出す悲劇でした。
何十年にもわたって利用されたティリクムの生涯は、シャチを飼育することに対する社会の見方を大きく変えました。
2017年、ティリクム死亡。
3. カティナ — 子どもとの時間を奪われた母親

カティナは1978年にアイスランド近海で捕獲され、その生涯の大半をシーワールド・オーランドで過ごしました。何頭も子を産みましたが、繁殖やショーに利用するため、子どもたちはほかの施設へ移され、一緒に過ごすことはできませんでした。
野生のシャチ、特に定住型の群れでは、母親と子どもが生涯にわたって強い結びつきを保ち、何世代にも及ぶ家族関係を築きます。しかし水槽では、子どもたちが連れ去られるたび、カティナの悲痛な声が響きました。
何年も狭い空間に閉じ込められ、観客の前で、シャチの自然な行動とはかけ離れた芸をさせられ続けた末、健康状態が急速に悪化したと伝えられています。
2025年、カティナ死亡。
4. ヒューゴ — 苦痛の果てに命を失ったシャチ

ヒューゴは1968年に米国ピュージェット湾で捕獲され、マイアミ・シークエリアムへ送られました。狭い水槽を別のシャチ、ロリータ(トキタエ)と共有させられ、強い苦痛から何度も壁に頭を打ちつけ、深い傷を負いました。
1980年、ヒューゴ死亡。
死因は脳動脈瘤と発表されました。この脳動脈瘤には、苦痛から繰り返し壁に頭を打ちつけていたことが関係していると考えられています。
遺骸は施設の廃棄物とともに捨てられたと報じられています。軽んじられ続けた生涯の最後に加えられた、さらなる侮辱でした。
5. キスカ — 10年以上、一頭きりで閉じ込められたシャチ

キスカは1979年にアイスランド近海で捕獲され、カナダ・オンタリオ州のマリンランドで数十年を過ごしました。5頭の子を産みましたが、一頭も生き延びることはできませんでした。
ともに暮らしたシャチは、死亡するか別の施設へ移され、キスカは10年以上にわたって完全に孤独な状態に置かれました。
来園者は、キスカが水面に浮かんだまま動かなかったり、水槽の壁に頭を打ちつけたりする姿をたびたび目撃しました。深刻な精神的苦痛を示す行動でした。
2023年、キスカ死亡。
その死を受け、海洋哺乳類の監禁を終わらせるよう求める声が、カナダで再び高まりました。同国では2019年、娯楽目的で鯨類を新たに飼育・繁殖することを原則として禁止する法律が成立しています。
6. トキタエ(ロリータ) — 故郷へ帰れなかったシャチ

トキタエは1970年、南部定住シャチの群れから捕獲され、その後50年以上にわたりマイアミ・シークエリアムで飼育されました。そこはヒューゴが亡くなったのと同じ水槽でした。
解放を求める運動が何十年も続けられましたが、トキタエは世界で最も小さいとされるシャチ用水槽から出ることができませんでした。
海辺のサンクチュアリへ移す計画がようやく進み始めた矢先、トキタエは体調を崩しました。
2023年、トキタエ死亡。
その死は、利用してきた動物に対して最後まで責任を果たせなかったこの産業の失敗を象徴しています。同時に、これ以上命が失われる前に、シャチを閉じ込めることそのものを終わらせなければならないという切迫した現実を示しています。
7. ケイコ — ついに海を泳いだシャチ

映画『フリー・ウィリー』シリーズに出演したケイコは、1979年にアイスランド沖で捕獲されました。狭い水槽に何年も閉じ込められた後、世論の高まりを受けてリハビリが行われ、最終的に海へ放されました。当時としては前例のない試みでした。
ケイコはアイスランドの海上いけすへ移され、再び外洋を泳ぐことを少しずつ学びました。
一見すると幸せな結末に思えるこの物語には、悲しい現実があります。
ケイコは野生の群れに完全に戻ることはできませんでした。
2003年、ケイコ死亡。
死因は肺炎でした。しばらくは自由に海を泳いで暮らしましたが、そこで生涯をまっとうすることはできませんでした。
ケイコの物語は、海洋動物を閉じ込めることの倫理を人々に問いかけました。そして、リハビリが可能な場合はあっても、捕獲・監禁しないことに勝るものはないと示したのです。
ここで紹介した7頭の物語は、シャチが水槽で暮らす動物ではないことを示しています。水槽に閉じ込めることは、彼らの生涯を意味あるものにする、あらゆるものを奪います。
彼らの苦しみは、水族館に閉じ込められたほかの海洋動物の苦しみと変わりません。
利益、娯楽、教育、保全。名目に関わらず、動物への搾取を拒まなければなりません。
今も飼育下にある動物たちを野生へ戻す取り組みを支え、それが不可能な場合には、少しでも穏やかに暮らせるサンクチュアリへ移すことを求めていく必要があります。
すべては、人間がもたらした悲劇なのですから。
Original article in English by Jordi Casamitjana / Japanese version by Yuko Kubo.







